日本初の連接車として知られる車です。形状は穏やかながら流線型。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%98%AA60%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A  1934年に3編成が製造。用途は京阪本線から京津線……大阪淀屋橋〜京都三条〜大津間の直通運転。今でこそ京阪は三条で出町柳方向に北上しますが、大昔(昭和30年代まで)は大津方面への路面電車に線路が繋がっていたのです。  直通運転は1960年頃廃止されたものの、車輌は京津線にて1970年まで活躍しました。  1編成は車庫内ながら、登場時の姿で静態保存されています。  この電車の特徴は「連接車」「流線型」。そして、鉄道線でも軌道線でも運用できるということ。そのためにドアは高ホーム用と路面軌道用の二重装備でした。集電装置も鉄道線用のパンタグラフと軌道線用のダブルポールの二重装備。ついでにいえば京阪線内の高速運転も、京津線内の勾配区間も難なくこなせる足回りも。小さいながらも(一編成で20m強。普通の電車1両分くらい)、密度の濃い電車だったのです。